ヒロ杉山 HIRO SUGIYAMA

真っ黒なシルエットの中に浮かび上がる、力強い筆跡。黒一色にも関わらず、そこから豊かな色合いや多彩な表情を感じ取れるのは、なぜだろう。観る者に語りかけてくるその作品は、ヒロ杉山が近年精力的に取り組んでいる「ブラックペインティング」シリーズ。『Monochrome Colors』と題された今回の個展のために、4×1.6mの描き下ろしを含む40点の作品を発表した。個展『Monochrome Colors』について、また長年第一線で活躍し続けてきたヒロ杉山のアーティスト人生について、会場である「ルーフミュージアム」とアトリエで話を伺った。

具象から抽象へ、抽象から具象へ
行き来を楽しみながら描く

−−「ルーフミュージアム」に初めて来られた時の印象はいかがでしたか?

初めて来たのはオープンの3ヵ月前で、ミュージアムもカフェもできていない、工事現場って感じの状態の時でした。まず、この広さにびっくりして、正直なところ焦ったんですよ。ここで個展をするとなると、どれだけの数の作品をそろえなきゃいけないんだろうって。でも「ルーフミュージアム」ができあがってからまた見に来たら、1階のカフェはおしゃれすぎるし、2階もかっこいいし、こんなスペースってなかなか東京にないので、「ここで個展ができるんだ」ってテンションが上がりました。

−−今回の個展『Monochrome Colors』では、ヒロさんが近年描かれている「ブラックペインティング」シリーズの新作や既存の作品を多数展示されています。まずは「ブラックペインティング」シリーズを描かれるようになったきっかけを教えていただけますか?

ウルトラマンに出てくる怪獣をモチーフに、シルエットをテーマにした個展を1990年ごろに開催したことがあって、その時に「シルエットって面白いな」と思ったのがきっかけです。人物やものの内側を塗りつぶすことによって、顔や服などの情報がなくなるから、具象的に見えていたものが抽象に近づくんですよね。僕はその“はざま”を探るのが好きなんです。「エンライトメント」という名義のクリエイティブユニットも主宰しているんですけど、エンライトメントで展覧会をした時にも「生と死のはざま」をテーマにしたことがありました。どちらかに行きそうでどちらにも行かない、そういう感覚がツボみたいです。

−−今回の個展でもまさに「抽象と具象のはざま」を表現されているんですね。

そうですね。黒く塗りつぶして抽象度を上げたところに、もとの絵画にあった顔の表情や洋服の柄などを黒い絵具の凹凸で出していくと、また具象に戻ってくる。そんなふうに、今は抽象と具象を行き来する感じを楽しんでいます。あと、「ブラックペインティング」シリーズはキャンバスを机の上に水平に置いて、筆で絵具をどんどんのせていくんですけど、その行為が立体物を作っている感覚にも似ていて、「平面と立体のはざま」を楽しんでいる感覚もあります。ただピカソに関しては、ピカソ特有のアウトラインを筆で盛り上げるのが難しかったので、ケーキを作る時に使う生クリームの絞り器に絵具を入れて、アウトラインのところをぐっと描く方法を開発したんですよ。口金の口径も太いものから細いものまでたくさんあるから、ちょうどいいなと思って。

−−このアウトラインを絞り器で描かれていたとは、驚きました。制作のプロセスとしては、背景をグレーに塗るところから始まるんですか?

まず、下地に濃いグレーを塗って、薄く溶いた白いジェッソを重ねてムラを作るところからですね。乾いてから、モチーフの絵画を拡大コピーしたものをカーボン紙でトレースしていきます。

−−そのあとシルエットの部分を黒い絵具で塗って、どこを立体的に見せるか探っていかれるんですね。

はい。モチーフにした絵画はカラーのものが多いので、もとの色や筆のタッチを黒いアクリル絵具の盛り上がりで感じさせています。メディウムも混ぜずにアクリル絵具だけで描いているから、乾燥するとぺちゃんこになっちゃうんですよ。だから、ここまで盛り上げるために乾いたら塗り、乾いたら塗りという作業を5回は繰り返していて、1枚仕上げるのに容量500mlの絵具のボトルを20本は使っています。毎月同じ画材屋さんから箱買いしているので、何に使っているんだろうって怪しまれているんじゃないかな(笑)。

−−1枚につき20本、これだけの作品枚数分となると、もはや卸の量ですものね(笑)。単色の黒で描かれているんですか?

混ぜると色が変わっちゃうので、カーボンブラックという色のアクリル絵具をそのまま使っています。黒にもいろんな色があるんですけど、カーボンブラックが一番しっくりきました。光具合がちょうどよかったのかな、ツヤ感とマットな感じのはざまが。

作家が絵を描いていた時の想いが
自分の中に宿る感覚

−−そもそも、なぜ名画を「ブラックペインティング」シリーズのモチーフにされたのでしょうか?

もともとは名画じゃなかったんですよ。僕は海外の子ども用の塗り絵の絵が大好きで、海外に行くたびに買っているんですけど、その中にいろんな花と花瓶をテーマにしたものが1冊あって。それを2019年の展覧会でシルエットにして、絵具を盛り上げて花の表情を描いてみたら、意外と面白かったんです。これを本格的にやっていこうと決めた時に、有名絵画の花をモチーフにしたらどうなるんだろうと思って描いたのが、ゴッホの『ひまわり』でした。そこからほかの名画もモチーフにしていきましたね。

−−今回の個展では、やはりピカソの『ゲルニカ』は迫力があって、特に目を奪われます。

個展のお話をいただいた時、最初にイメージしたのが『ゲルニカ』でした。「ルーフミュージアム」は広いから大きな絵を描きたかったのと、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってしまったので、戦争反対の意味を込めて、当時ピカソが描いた気持ちを現代に蘇らせようと思って挑戦しました。ただ、本物の『ゲルニカ』は横の長さが7m77cm、僕のは4mなので、約半分のサイズなんですけどね。『ゲルニカ』に限らずどの絵もそうなんですが、この手法で描くと、もとの絵画の表情や形、タッチをすごく細かいところまでまじまじと見るんですよ。そうすると、当時作家が描いていた時の想いみたいなものが、自分の中にふわ~っと入ってくる感じがして、描いている時はいたこ状態になるんです。だから体感時間は15分ぐらいなのに、時計を見ると5時間ぐらい経っていることがあって。もっと言うと、この2ヵ月間は個展の絵ばかり描いていたから、記憶が曖昧で。昨日も会場で絵を眺めていて、「こんなところ描いたかな~」なんて思っていました。
実際の『ゲルニカ』もモノクロで描かれていて、本当はもっとベタ面が多いんですよね。僕の場合はどこを黒くして、どこをグレーの背景にするかというバランスを考えながら描くので、本当は黒いところをわざと抜いてグレーを残してみたり、逆にセンターのところは大きな黒が欲しかったので描きながらつぶしたり、自分なりのアレンジも加えています。

−−それだけ想いがのった状態で描かれると、次の作品を描く時に気持ちの切り替えが難しそうですね。

僕はスイッチの切り替えができる方なので、大丈夫です。描いている時は本当に集中していて何かが乗り移ったような状態になるんですけど、描き終わった瞬間に抜けて、気持ちは次の絵に行っていますね。常に描かなきゃいけない絵が控えているという事情もありますが(笑)。

−−お忙しいヒロさんならではなのかもしれませんね(笑)。今回発表された作品の中で、特に気に入っている作品はありますか?

サイ・トゥオンブリーの『SHADE OF NIGHT』です。「ブラックペインティング」シリーズでは、今まで具象的な絵をモチーフにしていたんですけど、『SHADE OF NIGHT』で初めて抽象絵画をモチーフにしたことが自分の中で新しかったのと、これをきっかけに抽象的なものをモチーフにしていけそうだな、という新しい入り口が見えたので。描く前はどうなるか不安でしたが、70%くらいできた時に、いけるという確信に変わりました。

絵の辞め時を知らせる
小さな鐘の音

−−モノクロのドローイングも展示されていますね。

今回の個展は大型のペインティングが多いので、近くに寄ってじっくり観てもらえる作品も入れたいなと思って、2009年に描いたドローイングに加筆して展示しています。当時、ネット上に1日1枚、1年間で365枚のドローイングをアップするという企画をしていて、その中から数枚を選びました。紙をグレーに塗ってから薄いジェッソで下地を作るという技法は、この時に生まれたものです。

−−「365枚モノクロで描く」というルールをご自身の中で設けられていたんですか?

そうです。先にいろんなサイズのグレーの紙だけ作っておいて、その日の気分で紙を選んで、何を描くかも決めずに描いていました。グレーの紙は、もともとはインドネシアで作られたすき紙のイメージなんですよ。以前、お店で見つけたグレーのすき紙がめちゃくちゃかっこよくて。それを使って80年代終わりから90年代ぐらいに個展をしたこともありました。

−−名画シリーズのお話に戻るんですが、「ブラックペインティング」シリーズを描いていて「よし、これで完成」という瞬間はあるのでしょうか? 辞め時の見極めが難しそうです。

すごく小さな音なんですけど、「ここで終わっていいよ」っていう鐘の音が、頭の中で鳴るんですよ。それはこの絵に限らず普通の絵を描いている時もそうで、ぼけっとしていて鐘の音を聞き逃すと、どんどん描いちゃって絵がださくなるんです(笑)。だから聞き逃さないように、常に敏感でいないと。多分若い頃から鳴っていたんですけど、当時は全然聞き取れなくて、50歳を過ぎたあたりから聞き逃さなくなりました。

−−鐘の音が! 極められた方だけがたどり着ける境地ですね。実際に鐘の音の鳴るタイミングで描くことを辞めた作品は、見返してみるとやっぱりいいタイミングだったと感じるのでしょうか?

いいですね。絵を描く行為自体は、一生描いていたいぐらいめちゃくちゃ楽しいから、辞めるのが難しくて。以前は鐘の音が鳴っているのに、もうちょっと描きたいっていう欲を出して失敗することが多かったんです。今回の個展の作品は、どれも鐘の音のタイミングで辞めているので、いい出来だと思います。鐘の音が鳴るどころか、時間がなくて自分で鳴らしていたところもあるかもしれませんけど(笑)。

歯科の道からアートの道へ
人生の転機となった1日

−−10代のころは家業の歯医者さんを継がれるご予定だったそうですね。そこからなぜ絵の道に進むことになったのでしょうか?

父が歯科医をやっていたので、長男の僕は跡を継ごうと思っていました。だから大学も父と同じ日大歯学部に行くつもりで、日大の付属高校に入学して。そこで仲良くなった子たちが、卒業後に日大芸術学部に行くんです。僕は浪人するんですけど、彼らと話す中でデザインやイラストレーションというものを初めて知って、「そういう世界もあるんだ」って思いました。そのうちそっちに興味を持ってしまって、歯医者さんになるのが嫌になっちゃったという感じでしたね。親にはしばらく言えませんでした。でも浪人中のある日、予備校にも行かずに自由が丘でプラプラしていたら、目の前から親戚のお姉さんがたまたま歩いて来たんですよ。そのままお茶をすることになって「本当は歯医者じゃなくて、アートの方向に行きたいんだ」って話をしたら、その日のうちにお姉さんがうちの母に連絡していて、僕が家に帰った時にはもう、父の耳にも入っていて(笑)。そうしたら父が「やりたいことがあるなら、やればいいじゃないか」と。そこからですね、僕がアートの道に進んだのは。

−−お父さまのひと言があったから、今のヒロさんがあるのですね。その後、美術の専門学校に4年間行かれて、最初はイラストレーターを目指されていたんですか?

まだアートについてよくわかっていなかったので、絵を描いて仕事をするならイラストレーターかなと思っていました。でも、親友ふたりと一緒に専門学校の卒業旅行で初めてニューヨークに行って、ギャラリーを回りながら本当のアートに触れた時に「アーティストになりたいな」と思ったんです。ただ、僕はすでにイラストレーターの湯村輝彦さんの事務所で働いていたので、東京に帰ってからはニューヨークでの気持ちなんて関係なく、どんどん忙しくなっていきました。イラストレーションの仕事もしたし、独立してエンライトメントを作ってCMを制作したり、ミュージシャンのPVを作ったり、いろんなことをやらせてもらって、45歳ぐらいまで突っ走ったんですよ。すごく楽しかったんですけど、この仕事って打ち上げ花火みたいだなと感じていました。たくさんの製作費を使って僕が作ったCMがばーんっと打ち上がっても、2週間もすればまた違うところでCMやポスターが打ち上がる。消費されていく感覚がすごくあったんです。それで、世の中に残る作品を作りたいという想いが強くなってきた時に、学生の頃にニューヨークに行った時の想いが蘇ってきて、「あの時になりたかったのって、アーティストだったじゃん」って。そこから現代美術の世界での挑戦が始まり、今に至ります。

正しい鐘の音を聞くために
40年間続けてきたドローイング

−−今回の個展では、会期の後半にスケッチブックも展示されるそうですね。毎日ドローイングをされるそうですが、スケッチブックに描かれているんですか?

多い日でスケッチブックに4、5ページくらい描いています。スケッチブック1冊でひとつの作品というイメージです。でも、紙に描くこともありますよ。フォーマットも何に描くかも、全然決めずに描いています。

−−アーティストになる前から続けていらっしゃるんですか?

20歳ぐらいから、描くという行為は止めたことがないかな。途中で念願のイラストレーターになったんですけど、イラストレーターってある意味、技術職じゃないですか。エアブラシを使ったり、水彩のぼかしができたり、そういう技術とセンスがあってプロとして成立するんだけど、30歳ぐらいの時にMacintoshが出てきたんですよ。技術の部分を全部Macがやってくれることになっちゃったから、「誰でもイラストレーターになれるじゃない。だったらイラストレーターにあまり未来はないな」と思って、僕はイラストレーターを辞めるんです。そして仕事を全部デジタルに置き換えて、エンライトメントに集約しました。その切り替えの時にMacで20ぐらいのスタイルを作っておいて、クライアントに選んでもらうというやり方を始めたら、うまくいって。それと並行して絵具で描いたり、鉛筆で描いたりというアナログな制作は、ずっと続けてきましたね。

−−エンライトメントの事務所で日中にお仕事をされて、夜にアトリエに帰ってから描かれるのでしょうか。例えば、今日はこのモチーフが描きたいとか、こんな技法で描いてみようとか、そういったところから描き始めるんですか?

帰ってから描いています。夜中のその時間が楽しくて止まらなくて、下手すると朝5時ぐらいになっちゃうから、何時までに寝るって決めて描くんです。仕事は常に10本から15本同時に動いていて、それとは別に展覧会がある時はそのことも考えなきゃいけないんだけど、アトリエで描く絵は頭をまったく使わないんですよ。その日の気分で「赤が使いたいな~」くらいの感じで描き始めます。夜中のドローイングは、正しい鐘の音を聞きやすくするためのトレーニングなんです。

スタイルを放棄することで
クリエイティブの楽しみを手に入れた

−−ご自身のスタイルを持つことを大切にされている方も多い中で、ヒロさんの絵は年代によって別の方が描かれたかのような印象を与える作品もあると思います。スタイルを持つことについてはどのように捉えていらっしゃいますか?

僕は常に新しいことがやりたくなっちゃうんですよ。今は黒い絵を描いているけど、頭の中では色を使う別のイメージがすでにできていて、それをどんなふうに描こうかな~って考えちゃうので。イラストレーターを辞めたのはそういう理由もあるんです。イラストレーターってひとつのスタイルを作ったら、ずっと描いていかなきゃならないから。僕の場合は30歳の時にスタイルを放棄したことで、クリエイティブが楽しくなりましたね。それが僕には合っていたんだと思います。

−−ヒロさんにとって、スタイルが足かせになっていた部分もあるんですね。スタイルを放棄することに怖さを感じる方もいると思うのですが。

イラストレーターのヒロ杉山としてすごく仕事が来ていた時期だったから、僕も怖さはありました。でも、本当は好きに絵を描きたいのに、同じスタイルで描くことにストレスを抱えながら続ける方が難しかったんじゃないかな。だから今回の個展も、年齢的に肉体的なストレスはあるんですけど、描ける楽しさと、あんなところで発表できるというテンションで、精神的なストレスはまったくないんです。

−−そうしてできた作品が会場に並んでいる様子をご覧になって、いかがでしたか?

シンプルに、いいな~と思いました。ただ、個展の時はいつもそうなんですけど、初日に誰も来ないんじゃないかって、今でも心配で(笑)。
個展も仕事も、たくさんいる作家さんの中から僕を選んで声をかけてくださるのは、本当にありがたいことです。頼んでくださる方がいることがすごく嬉しいから、それに対して命を削ってでもいいものを作らなきゃいけないという気持ちはいつもあります。あと、流れに身を任せるのが好きなので、そういう流れが来ているんだったらそれに乗ろうと思って生きてきた結果、今があるのかな。

−−長年第一線で活躍されてきた秘訣をご自身で分析されるとしたら、流れにのるということもひとつなのでしょうか?

それもそうだし、一番は依頼が来たものに対して常に120%で返してきたことですかね。70%ぐらいの出来で返すなんて意味がわからない。相手には喜んでもらえるレベルのものかもしれないですけど、自分の中では許せないんです。個展も仕事も100%で返すのは当たり前だから、120%、もしくは120%以上で返すってことをずっとやってきたことが、またあの人に頼もうって思ってもらえた理由なんだと思います。

−−最後に、アーティストとしての最終目標があれば教えてください。    

「75歳で最高傑作を作る」。世の中の評価云々というより、自分が本当に納得できるものを作りたいですね。だから日々のドローイングも、個展も、すべてそこに向けての修行だと思っています。毎回作品ができるたびに、本当にいいものができたって自分で納得するわけですよ。今回描いた『SHADE OF NIGHT』も「最高の作品ができたー!」って思っているんですけど、次の日からは「もっといいものを作らなきゃいけない」という想いに切り替わるんです。その積み重ねですね。

−−今回の個展『Monochrome Colors』しかり、毎回ご自身の最高を更新し続けて来られて今があるのですね。15年後のヒロさんが作る最高傑作、拝見できる日を楽しみにしています!




photography Kase Kentaro
text Hiraiwa Mayuka


ヒロ杉山 アーティスト。
東京生まれ。湯村輝彦氏に師事。1989年に谷田一郎氏とともに「近代芸術集団」結成。1997年にクリエイティブユニット「エンライトメント」を結成。2004年には箭内道彦氏と「風とバラッド」を設立。同年「ヒロミヨシイギャラリー」に所属し、現代美術の世界で国内外の展覧会にて作品を発表する。グラフィックデザインや広告など幅広いジャンルで活躍。音楽業界からの信頼も厚く、テイ・トウワ、m-flo、安室奈美恵、BOA、少女時代、三代目J SOUL BROTHERS等のライブ映像を提供。2018年から高橋キンタロー氏とともに「WAVE」展を国内外で主催。京都芸術大学の客員教授でもある。
http://elm-art.com

ヒロ杉山 HIRO SUGIYAMA

真っ黒なシルエットの中に浮かび上がる、力強い筆跡。黒一色にも関わらず、そこから豊かな色合いや多彩な表情を感じ取れるのは、なぜだろう。観る者に語りかけてくるその作品は、ヒロ杉山が近年精力的に取り組んでいる「ブラックペインティング」シリーズ。『Monochrome Colors』と題された今回の個展のために、4×1.6mの描き下ろしを含む40点の作品を発表した。
個展『Monochrome Colors』について、また長年第一線で活躍し続けてきたヒロ杉山のアーティスト人生について、会場である「ルーフミュージアム」とアトリエで話を伺った。

具象から抽象へ、抽象から具象へ
行き来を楽しみながら描く

−−「ルーフミュージアム」に初めて来られた時の印象はいかがでしたか?

初めて来たのはオープンの3ヵ月前で、ミュージアムもカフェもできていない、工事現場って感じの状態の時でした。まず、この広さにびっくりして、正直なところ焦ったんですよ。ここで個展をするとなると、どれだけの数の作品をそろえなきゃいけないんだろうって。でも「ルーフミュージアム」ができあがってからまた見に来たら、1階のカフェはおしゃれすぎるし、2階もかっこいいし、こんなスペースってなかなか東京にないので、「ここで個展ができるんだ」ってテンションが上がりました。

−−今回の個展『Monochrome Colors』では、ヒロさんが近年描かれている「ブラックペインティング」シリーズの新作や既存の作品を多数展示されています。まずは「ブラックペインティング」シリーズを描かれるようになったきっかけを教えていただけますか?

ウルトラマンに出てくる怪獣をモチーフに、シルエットをテーマにした個展を1990年ごろに開催したことがあって、その時に「シルエットって面白いな」と思ったのがきっかけです。人物やものの内側を塗りつぶすことによって、顔や服などの情報がなくなるから、具象的に見えていたものが抽象に近づくんですよね。僕はその“はざま”を探るのが好きなんです。「エンライトメント」という名義のクリエイティブユニットも主宰しているんですけど、エンライトメントで展覧会をした時にも「生と死のはざま」をテーマにしたことがありました。どちらかに行きそうでどちらにも行かない、そういう感覚がツボみたいです。

−−今回の個展でもまさに「抽象と具象のはざま」を表現されているんですね。

そうですね。黒く塗りつぶして抽象度を上げたところに、もとの絵画にあった顔の表情や洋服の柄などを黒い絵具の凹凸で出していくと、また具象に戻ってくる。そんなふうに、今は抽象と具象を行き来する感じを楽しんでいます。あと、「ブラックペインティング」シリーズはキャンバスを机の上に水平に置いて、筆で絵具をどんどんのせていくんですけど、その行為が立体物を作っている感覚にも似ていて、「平面と立体のはざま」を楽しんでいる感覚もあります。ただピカソに関しては、ピカソ特有のアウトラインを筆で盛り上げるのが難しかったので、ケーキを作る時に使う生クリームの絞り器に絵具を入れて、アウトラインのところをぐっと描く方法を開発したんですよ。口金の口径も太いものから細いものまでたくさんあるから、ちょうどいいなと思って。

−−このアウトラインを絞り器で描かれていたとは、驚きました。制作のプロセスとしては、背景をグレーに塗るところから始まるんですか?

まず、下地に濃いグレーを塗って、薄く溶いた白いジェッソを重ねてムラを作るところからですね。乾いてから、モチーフの絵画を拡大コピーしたものをカーボン紙でトレースしていきます。

−−そのあとシルエットの部分を黒い絵具で塗って、どこを立体的に見せるか探っていかれるんですね。

はい。モチーフにした絵画はカラーのものが多いので、もとの色や筆のタッチを黒いアクリル絵具の盛り上がりで感じさせています。メディウムも混ぜずにアクリル絵具だけで描いているから、乾燥するとぺちゃんこになっちゃうんですよ。だから、ここまで盛り上げるために乾いたら塗り、乾いたら塗りという作業を5回は繰り返していて、1枚仕上げるのに容量500mlの絵具のボトルを20本は使っています。毎月同じ画材屋さんから箱買いしているので、何に使っているんだろうって怪しまれているんじゃないかな(笑)。

−−1枚につき20本、これだけの作品枚数分となると、もはや卸の量ですものね(笑)。単色の黒で描かれているんですか?

混ぜると色が変わっちゃうので、カーボンブラックという色のアクリル絵具をそのまま使っています。黒にもいろんな色があるんですけど、カーボンブラックが一番しっくりきました。光具合がちょうどよかったのかな、ツヤ感とマットな感じのはざまが。

作家が絵を描いていた時の想いが
自分の中に宿る感覚

−−そもそも、なぜ名画を「ブラックペインティング」シリーズのモチーフにされたのでしょうか?

もともとは名画じゃなかったんですよ。僕は海外の子ども用の塗り絵の絵が大好きで、海外に行くたびに買っているんですけど、その中にいろんな花と花瓶をテーマにしたものが1冊あって。それを2019年の展覧会でシルエットにして、絵具を盛り上げて花の表情を描いてみたら、意外と面白かったんです。これを本格的にやっていこうと決めた時に、有名絵画の花をモチーフにしたらどうなるんだろうと思って描いたのが、ゴッホの『ひまわり』でした。そこからほかの名画もモチーフにしていきましたね。

−−今回の個展では、やはりピカソの『ゲルニカ』は迫力があって、特に目を奪われます。

個展のお話をいただいた時、最初にイメージしたのが『ゲルニカ』でした。「ルーフミュージアム」は広いから大きな絵を描きたかったのと、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってしまったので、戦争反対の意味を込めて、当時ピカソが描いた気持ちを現代に蘇らせようと思って挑戦しました。ただ、本物の『ゲルニカ』は横の長さが7m77cm、僕のは4mなので、約半分のサイズなんですけどね。『ゲルニカ』に限らずどの絵もそうなんですが、この手法で描くと、もとの絵画の表情や形、タッチをすごく細かいところまでまじまじと見るんですよ。そうすると、当時作家が描いていた時の想いみたいなものが、自分の中にふわ~っと入ってくる感じがして、描いている時はいたこ状態になるんです。だから体感時間は15分ぐらいなのに、時計を見ると5時間ぐらい経っていることがあって。もっと言うと、この2ヵ月間は個展の絵ばかり描いていたから、記憶が曖昧で。昨日も会場で絵を眺めていて、「こんなところ描いたかな~」なんて思っていました。
実際の『ゲルニカ』もモノクロで描かれていて、本当はもっとベタ面が多いんですよね。僕の場合はどこを黒くして、どこをグレーの背景にするかというバランスを考えながら描くので、本当は黒いところをわざと抜いてグレーを残してみたり、逆にセンターのところは大きな黒が欲しかったので描きながらつぶしたり、自分なりのアレンジも加えています。

−−それだけ想いがのった状態で描かれると、次の作品を描く時に気持ちの切り替えが難しそうですね。

僕はスイッチの切り替えができる方なので、大丈夫です。描いている時は本当に集中していて何かが乗り移ったような状態になるんですけど、描き終わった瞬間に抜けて、気持ちは次の絵に行っていますね。常に描かなきゃいけない絵が控えているという事情もありますが(笑)。

−−お忙しいヒロさんならではなのかもしれませんね(笑)。今回発表された作品の中で、特に気に入っている作品はありますか?

サイ・トゥオンブリーの『SHADE OF NIGHT』です。「ブラックペインティング」シリーズでは、今まで具象的な絵をモチーフにしていたんですけど、『SHADE OF NIGHT』で初めて抽象絵画をモチーフにしたことが自分の中で新しかったのと、これをきっかけに抽象的なものをモチーフにしていけそうだな、という新しい入り口が見えたので。描く前はどうなるか不安でしたが、70%くらいできた時に、いけるという確信に変わりました。

絵の辞め時を知らせる
小さな鐘の音

−−モノクロのドローイングも展示されていますね。

今回の個展は大型のペインティングが多いので、近くに寄ってじっくり観てもらえる作品も入れたいなと思って、2009年に描いたドローイングに加筆して展示しています。当時、ネット上に1日1枚、1年間で365枚のドローイングをアップするという企画をしていて、その中から数枚を選びました。紙をグレーに塗ってから薄いジェッソで下地を作るという技法は、この時に生まれたものです。

−−「365枚モノクロで描く」というルールをご自身の中で設けられていたんですか?

そうです。先にいろんなサイズのグレーの紙だけ作っておいて、その日の気分で紙を選んで、何を描くかも決めずに描いていました。グレーの紙は、もともとはインドネシアで作られたすき紙のイメージなんですよ。以前、お店で見つけたグレーのすき紙がめちゃくちゃかっこよくて。それを使って80年代終わりから90年代ぐらいに個展をしたこともありました。

−−名画シリーズのお話に戻るんですが、「ブラックペインティング」シリーズを描いていて「よし、これで完成」という瞬間はあるのでしょうか? 辞め時の見極めが難しそうです。

すごく小さな音なんですけど、「ここで終わっていいよ」っていう鐘の音が、頭の中で鳴るんですよ。それはこの絵に限らず普通の絵を描いている時もそうで、ぼけっとしていて鐘の音を聞き逃すと、どんどん描いちゃって絵がださくなるんです(笑)。だから聞き逃さないように、常に敏感でいないと。多分若い頃から鳴っていたんですけど、当時は全然聞き取れなくて、50歳を過ぎたあたりから聞き逃さなくなりました。

−−鐘の音が! 極められた方だけがたどり着ける境地ですね。実際に鐘の音の鳴るタイミングで描くことを辞めた作品は、見返してみるとやっぱりいいタイミングだったと感じるのでしょうか?

いいですね。絵を描く行為自体は、一生描いていたいぐらいめちゃくちゃ楽しいから、辞めるのが難しくて。以前は鐘の音が鳴っているのに、もうちょっと描きたいっていう欲を出して失敗することが多かったんです。今回の個展の作品は、どれも鐘の音のタイミングで辞めているので、いい出来だと思います。鐘の音が鳴るどころか、時間がなくて自分で鳴らしていたところもあるかもしれませんけど(笑)。

歯科の道からアートの道へ
人生の転機となった1日

−−10代のころは家業の歯医者さんを継がれるご予定だったそうですね。そこからなぜ絵の道に進むことになったのでしょうか?

父が歯科医をやっていたので、長男の僕は跡を継ごうと思っていました。だから大学も父と同じ日大歯学部に行くつもりで、日大の付属高校に入学して。そこで仲良くなった子たちが、卒業後に日大芸術学部に行くんです。僕は浪人するんですけど、彼らと話す中でデザインやイラストレーションというものを初めて知って、「そういう世界もあるんだ」って思いました。そのうちそっちに興味を持ってしまって、歯医者さんになるのが嫌になっちゃったという感じでしたね。親にはしばらく言えませんでした。でも浪人中のある日、予備校にも行かずに自由が丘でプラプラしていたら、目の前から親戚のお姉さんがたまたま歩いて来たんですよ。そのままお茶をすることになって「本当は歯医者じゃなくて、アートの方向に行きたいんだ」って話をしたら、その日のうちにお姉さんがうちの母に連絡していて、僕が家に帰った時にはもう、父の耳にも入っていて(笑)。そうしたら父が「やりたいことがあるなら、やればいいじゃないか」と。そこからですね、僕がアートの道に進んだのは。

−−お父さまのひと言があったから、今のヒロさんがあるのですね。その後、美術の専門学校に4年間行かれて、最初はイラストレーターを目指されていたんですか?

まだアートについてよくわかっていなかったので、絵を描いて仕事をするならイラストレーターかなと思っていました。でも、親友ふたりと一緒に専門学校の卒業旅行で初めてニューヨークに行って、ギャラリーを回りながら本当のアートに触れた時に「アーティストになりたいな」と思ったんです。ただ、僕はすでにイラストレーターの湯村輝彦さんの事務所で働いていたので、東京に帰ってからはニューヨークでの気持ちなんて関係なく、どんどん忙しくなっていきました。イラストレーションの仕事もしたし、独立してエンライトメントを作ってCMを制作したり、ミュージシャンのPVを作ったり、いろんなことをやらせてもらって、45歳ぐらいまで突っ走ったんですよ。すごく楽しかったんですけど、この仕事って打ち上げ花火みたいだなと感じていました。たくさんの製作費を使って僕が作ったCMがばーんっと打ち上がっても、2週間もすればまた違うところでCMやポスターが打ち上がる。消費されていく感覚がすごくあったんです。それで、世の中に残る作品を作りたいという想いが強くなってきた時に、学生の頃にニューヨークに行った時の想いが蘇ってきて、「あの時になりたかったのって、アーティストだったじゃん」って。そこから現代美術の世界での挑戦が始まり、今に至ります。

正しい鐘の音を聞くために
40年間続けてきたドローイング

−−今回の個展では、会期の後半にスケッチブックも展示されるそうですね。毎日ドローイングをされるそうですが、スケッチブックに描かれているんですか?

多い日でスケッチブックに4、5ページくらい描いています。スケッチブック1冊でひとつの作品というイメージです。でも、紙に描くこともありますよ。フォーマットも何に描くかも、全然決めずに描いています。

−−アーティストになる前から続けていらっしゃるんですか?

20歳ぐらいから、描くという行為は止めたことがないかな。途中で念願のイラストレーターになったんですけど、イラストレーターってある意味、技術職じゃないですか。エアブラシを使ったり、水彩のぼかしができたり、そういう技術とセンスがあってプロとして成立するんだけど、30歳ぐらいの時にMacintoshが出てきたんですよ。技術の部分を全部Macがやってくれることになっちゃったから、「誰でもイラストレーターになれるじゃない。だったらイラストレーターにあまり未来はないな」と思って、僕はイラストレーターを辞めるんです。そして仕事を全部デジタルに置き換えて、エンライトメントに集約しました。その切り替えの時にMacで20ぐらいのスタイルを作っておいて、クライアントに選んでもらうというやり方を始めたら、うまくいって。それと並行して絵具で描いたり、鉛筆で描いたりというアナログな制作は、ずっと続けてきましたね。

−−エンライトメントの事務所で日中にお仕事をされて、夜にアトリエに帰ってから描かれるのでしょうか。例えば、今日はこのモチーフが描きたいとか、こんな技法で描いてみようとか、そういったところから描き始めるんですか?

帰ってから描いています。夜中のその時間が楽しくて止まらなくて、下手すると朝5時ぐらいになっちゃうから、何時までに寝るって決めて描くんです。仕事は常に10本から15本同時に動いていて、それとは別に展覧会がある時はそのことも考えなきゃいけないんだけど、アトリエで描く絵は頭をまったく使わないんですよ。その日の気分で「赤が使いたいな~」くらいの感じで描き始めます。夜中のドローイングは、正しい鐘の音を聞きやすくするためのトレーニングなんです。

スタイルを放棄することで
クリエイティブの楽しみを手に入れた

−−ご自身のスタイルを持つことを大切にされている方も多い中で、ヒロさんの絵は年代によって別の方が描かれたかのような印象を与える作品もあると思います。スタイルを持つことについてはどのように捉えていらっしゃいますか?

僕は常に新しいことがやりたくなっちゃうんですよ。今は黒い絵を描いているけど、頭の中では色を使う別のイメージがすでにできていて、それをどんなふうに描こうかな~って考えちゃうので。イラストレーターを辞めたのはそういう理由もあるんです。イラストレーターってひとつのスタイルを作ったら、ずっと描いていかなきゃならないから。僕の場合は30歳の時にスタイルを放棄したことで、クリエイティブが楽しくなりましたね。それが僕には合っていたんだと思います。

−−ヒロさんにとって、スタイルが足かせになっていた部分もあるんですね。スタイルを放棄することに怖さを感じる方もいると思うのですが。

イラストレーターのヒロ杉山としてすごく仕事が来ていた時期だったから、僕も怖さはありました。でも、本当は好きに絵を描きたいのに、同じスタイルで描くことにストレスを抱えながら続ける方が難しかったんじゃないかな。だから今回の個展も、年齢的に肉体的なストレスはあるんですけど、描ける楽しさと、あんなところで発表できるというテンションで、精神的なストレスはまったくないんです。

−−そうしてできた作品が会場に並んでいる様子をご覧になって、いかがでしたか?

シンプルに、いいな~と思いました。ただ、個展の時はいつもそうなんですけど、初日に誰も来ないんじゃないかって、今でも心配で(笑)。 個展も仕事も、たくさんいる作家さんの中から僕を選んで声をかけてくださるのは、本当にありがたいことです。頼んでくださる方がいることがすごく嬉しいから、それに対して命を削ってでもいいものを作らなきゃいけないという気持ちはいつもあります。あと、流れに身を任せるのが好きなので、そういう流れが来ているんだったらそれに乗ろうと思って生きてきた結果、今があるのかな。

−−長年第一線で活躍されてきた秘訣をご自身で分析されるとしたら、流れにのるということもひとつなのでしょうか?

それもそうだし、一番は依頼が来たものに対して常に120%で返してきたことですかね。70%ぐらいの出来で返すなんて意味がわからない。相手には喜んでもらえるレベルのものかもしれないですけど、自分の中では許せないんです。個展も仕事も100%で返すのは当たり前だから、120%、もしくは120%以上で返すってことをずっとやってきたことが、またあの人に頼もうって思ってもらえた理由なんだと思います。

−−最後に、アーティストとしての最終目標があれば教えてください。

「75歳で最高傑作を作る」。世の中の評価云々というより、自分が本当に納得できるものを作りたいですね。だから日々のドローイングも、個展も、すべてそこに向けての修行だと思っています。毎回作品ができるたびに、本当にいいものができたって自分で納得するわけですよ。今回描いた『SHADE OF NIGHT』も「最高の作品ができたー!」って思っているんですけど、次の日からは「もっといいものを作らなきゃいけない」という想いに切り替わるんです。その積み重ねですね。

−−今回の個展『Monochrome Colors』しかり、毎回ご自身の最高を更新し続けて来られて今があるのですね。15年後のヒロさんが作る最高傑作、拝見できる日を楽しみにしています!




photography Kase Kentaro
text Hiraiwa Mayuka


ヒロ杉山 アーティスト。
東京生まれ。湯村輝彦氏に師事。1989年に谷田一郎氏とともに「近代芸術集団」結成。1997年にクリエイティブユニット「エンライトメント」を結成。2004年には箭内道彦氏と「風とバラッド」を設立。同年「ヒロミヨシイギャラリー」に所属し、現代美術の世界で国内外の展覧会にて作品を発表する。グラフィックデザインや広告など幅広いジャンルで活躍。音楽業界からの信頼も厚く、テイ・トウワ、m-flo、安室奈美恵、BOA、少女時代、三代目J SOUL BROTHERS等のライブ映像を提供。2018年から高橋キンタロー氏とともに「WAVE」展を国内外で主催。京都芸術大学の客員教授でもある。
http://elm-art.com